『多読計画』断片

英語100万語多読の励みにしていた『多読計画』のサイトがなくなってしまったので、仕方なくはてなに来ました。地道に積み上げた読書記録で救えた記事はゼロ、下書きが7本残っているだけです。あー残念。これからまた少しずつ記事を増やすつもりです。・・・・といっても自分以外の人にとっては読む価値なしですが。

伊藤蘭コンサート 2020年10月25日(日)18-20時@Line Cube Shibuya(渋谷公会堂)

デビュー30~35周年の時期、私がファンクラブに入っていた岩崎宏美は、今では45周年くらいになるのかな?
歌手としての力量が抜けて高く、それに比例して持ち歌のクオリティも高い。
最近亡くなった筒美京平の曲も、他の歌手がうらやむくらいに持っている。
こんなに長い間現役で活躍し、毎年何本もコンサートを開ける歌手は、まあほとんどいない。

 

そしてもう一人、逆に40年の沈黙を破り、歌手活動を再開した人がいる。
それが伊藤蘭、こんな人はもっといない!
あり得ないよね、40年振りって。
願望として持っていたとしても、60歳を越えて普通はやらないし、できない。
田中好子が亡くなった時、キャンディーズ再結成の可能性は永遠に消えたのだし、ソロ歌手の経験はないだろうし。

 

私も社会人経験を積み、そして思うことだが、このように突飛なアイディアを実行に移せる人というのは、明らかに能力の桁が違う。
何でも出来るし、実績も残してきたから、たいていのことは普通に実現可能な事だと思っている。
セルフイメージがそのように出来ている。

 

例えば浅野ゆう子だったら、今から歌手としての活動しないと思う。
もちろん俳優としてはトップの人だけれど、歌手時代の楽曲の量と質、ファン層の厚みが違う。
やってくれたら楽しいのは間違いないのだが。

 

それにしても、三人グループで二人いないのに、キャンディーズの歌を歌おうなんて思う?
そもそもやりたくても出来ない、でも伊藤蘭は実現可能だと考えたのだろう。
楽曲はあるしファンもいる。
何でも出来るから、一人キャンディーズだって出来る。
そしてもちろん、ソロ歌手としての可能性も信じている。

 

伊藤蘭が歌手活動を再開したことを私はずっと知らず、初めて知った時はぜひ行きたいと思い、仙台でのチケットを購入した。

しかし新型コロナで中止になった。
伊藤蘭のコンサート、これから観る機会があるかどうかわからなかったので、とても残念だった。
キャンディーズ解散時、私は中学生で、一人で後楽園球場にコンサートを観に行くという行動力はなかった。
結局ライブで観る機会はないのかもしれないと思った。

 

しばらく経って、LINE CUBE SHIBUYAという、世を忍ぶ仮の名になっている渋谷公会堂でのコンサートがe+で発売され、2度抽選で落ちながら、最終的にはチケットを獲得できた。

 

コンサートが始まり、伊藤蘭がスクリーンの向こう側に登場した時、私がまず思ったのは、「蘭さん細いなー」ということだ。
宏美さんのたくましくなった二の腕もいいけれど、何十年も同じような体型でいられるのはすごい。
そしてさらに、声質がアイドル時代と変わらないという、これもあり得ないすごさ。

リアルタイムの経験としては、伊藤蘭キャンディーズ)はテレビでしか観たことがなかった。
コンサートを観るのはこれが初めてなので、岩崎宏美コンサートの進行を思い出しながら、現在のオリジナル曲を聴く。

 

そしてステージ後半、キャンディーズのコーナーに入る前だったかに、蘭さんが言った。
正確な言葉は再現できないが、「令和の時代に、平成を飛び越え、時間が昭和に巻き戻る」と。

 

キャンディーズ解散後、ランちゃんは伊藤蘭になった。
私の感覚では、全然違う人。
歌手から俳優になったのだから、違う見せ方をするのは当然だし、もちろん伊藤蘭も応援してきたのだが、でもやはり伊藤蘭はランちゃんとは違う人、という感じがずっとあった。

 

でも今日、キャンディーズを歌う伊藤蘭は、確かにランちゃんなのだった。
40年越しの再会という感じ。
選曲も素晴らしい。危ない土曜日、その気にさせないで、ハートのエースが出てこない、などなど。
で、岩崎宏美なら、聖母たちのララバイで締める。
なので春一番が最後かな、と思ったら、微笑がえしも歌ってくださりました。
なんと素晴らしいこと。
その後のアンコールでの、12月配信予定という新曲も良かった。

 

時々自分が死ぬ時の事を想像するのだが、きっと病院か自宅のベッドで自分の生涯を振り返り、大変だった事やうれしかった事を振り返るのだろうと思う。
その時、間違いなく今日のコンサートは、幸せな経験として思い出すはずだ。
曲も素晴らしかったが、ランちゃんと伊藤蘭とが重なったことが、何よりうれしかった。

 

以下は余談。
私にとって、スーと田中好子も違う人だった。ランと伊藤蘭ほどではないにしても。
それはなぜか、長い間考えていた。
私の結論としては、伊藤蘭田中好子も、二人とも美人過ぎるのだ。
だからラン・スーとは別物と感じてしまう。

 

この理論は、岩崎宏美がやたら美人な感じだった一時期(歌手活動を再開した頃)を経て、その後アイドル時代の岩崎宏美に戻ったように感じて安心した経験に基づく。
美人になる能力を持っている人は、どうしてもその能力を発揮してしまうので、やむを得ないことなのだ。